世界で認められたパン屋が高山に


現在、僕は岐阜県に住んでいますと言うと
「高山に行ったことがあるんですよ」
そうおっしゃってくださる方が多い。確かに高山は岐阜県である。しかし、僕は岐阜県でも愛知県との県境に近い南の方に住んでいるため、岐阜県の北に位置する高山までは車にしろ電車にしろ3時間近くかかってしまう。岐阜の面積は1万平方キロメートル以上(全国7位)で東京の5倍近くあるのだ。

「高山に世界で認められたパン屋があるってテレビで観たんだけど、今度、東京に来る時に買ってきて」
友人からそんなメールが来た。
「だから、うちから高山まで遠いんだって」
そう返信した後で、いや、待てよ、でも、ちょっと興味あるなぁ。そう思い、僕もその番組を再放送で拝見した。そのパン職人はベーカリー・ワールドカップで日本代表に選ばれ、世界3位を受賞していた。そういったパン職人は普通、東京で店を開くが彼は地方で美味しいパンが食べられる環境を作りたいと地元の高山に店を出したのだ。

番組を観た翌朝、始発の電車で高山に向かった。高山駅から10分程度歩いた場所にそのパン屋はある。以前は9時開店だったが、テレビで紹介されてから以前より客が殺到しているらしく、できるだけ多くのパンを用意しようと9時30分開店になっているようだ。僕は開店する時間に合わせてやってきたが、その時点で既に30名程の行列ができていた。

もちろん手に取りました。彼が入れた切り目かどうかはわからないけど。

開店時のパンを焼きあげるために、このパン屋の職人たちは朝3時から仕込むらしい。豆腐屋の朝が早いのはよく聞くが、パン屋がここまで朝が早いとは知らなかった。番組の中で職人が新人にフランスパンの一種であるバタールを教えるシーンがあった。パンに入れる切れ目が勝負のパンで新人はなかなかうまくできず、彼が切れ目を入れたパンはなかなか店に出してもらえない。それがある日、1本だけ出してもらえた。そこで番組は終わる。そして僕が入店した時、ちょうど、そのパンが焼き上がって出てきた。
「バタール焼きあがりました」
そう言って店内に持ってきたのはテレビで見たその新人だった。

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ヤギの散歩とアルゼンチン


早朝、自宅で飼っている2匹のヤギを少し離れた畑へ連れていくことがある。2匹同時に連れていくというのはかなり大変。それぞれが本能のまま食べたい草のあるところに向かって歩いていくので、リードがすぐにからまってしまう。

「いい加減にしろよなぁ」
ついつい人間の言葉で怒ってしまう。

近所の子供たちがたまにリードを持ってくれるけど、なかなか言うことを聞いてくれないんだよね。

立ち止まっては何度もからみを取っているうちに、アルゼンチンはブエノスアイレスの朝を散歩していた日のことを思い出した。南米のパリと言われるだけにヨーロッパの香りがする街。犬の糞が多いところまでパリに似ている。糞があるということはそれだけ犬も多いということ。街には犬を散歩させる人をよく見かける。1匹ではなく、5匹近く連れている人もいる。しかも同じ種類の犬ではなく、小さな犬から大きな犬まで様々。からまることもなく、それぞれが同じようなスピードで歩いていく。実は手綱を持っていたのは犬の散歩屋だった。ニューヨークでは普通の職業として認知されている犬の散歩屋は実はブエノスアイレスが発祥の地。

彼女たちは朝、犬を預かると公園の中にあるドッグヤードの中へ連れていく。そこで遊ばせ、そして時折、散歩に連れていきながら、夕方、飼い主が仕事から戻るまで預かるのだ。彼等は預かっているそれぞれの犬の特徴や性格を把握しており、一緒に散歩に連れていく犬の組み合わせも考えるのだ。もちろん最初に書いた犬の糞が多いのは個人の飼い主で彼等が街に糞を落としていくことはない…と思いたい。

昨年、遂にブエノスアイレスの条例で犬の糞を放置した場合、罰金を科す方針が発表された。既にニューヨークでは100ドルの罰金が科せられていると聞く。ヤギの正露丸のような糞と違って、犬の場合、どちらかというと人間の排せつ物に近いので、もし、踏んでしまった後、ホテルの部屋で見つけたときのショックといったらないので仕方がない。そう考えるとヤギのリードがからまるくらいはしょうがないかぁ…と思えない。

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寝れば忘れ…なかった


その日にどんなに不愉快なことがあっても人生の中で眠れなかったという記憶はない。それは幸せなことだと思う。しかし、「嫌なことも寝れば忘れる」ということとはまた別物らしい。思い悩んだ後に眠り、翌朝、目覚めると前日の続きだよと言わんばかりに感情が戻ってくる。これはこれでやっかいである。

リセットして次に進もうと思うことだってあるんだけど今朝は違ったんだよなぁ。僕には、いや、僕だけではないかもしれないが気持ちにもバイオリズムというものがあるわけで、たとえ同じような不愉快なことがあっても、「よし、次に行こう!」と思える朝と「はぁ~」とため息をついてしまう朝がある。

カーテンを開けると鉛のような空から雨が落ちている。今朝は、それもよくなかったのだろう。たとえ、「はぁ~」とため息をついても太陽が差し込んできたりすると、「次に進むとするか…」と思うことだってある。北欧など日照時間の少ない国で自殺率が高いことも何となくわかる気がする。やはり太陽は大切なんだろう。

おもいっきり、ジャンプするのも悪くないかもしれない。

パジャマを脱ぎながら、雨が降っていなかったらジョギングするんだけどなぁとため息をつく。走っていると生産性のない感情を頭から拭い去ってくれるから。着替え終わると腹筋でもすることにした。その場に寝ころび、早速、開始。ジョギングのような訳にはいかず、起き上がる度に、いろいろな感情が頭を過る。しかし、20回を超えたあたりから徐々に身体がきつくなってきた。こうして肉体的な負荷をかけているうちに余分な感情が燃えていくのかもしれない。ついでに脂肪も燃えてくれるといいんだけどなぁ…などという思いが出始めた。こうなったらしめたもの。

生産性のない感情を引きずることが悪いとは言わない。それも様々な過程においては必要なのだが前に進むことへのブレーキになる。せっかく春を迎えようとしているのだから新たな気持ちでもう少し前に進んでいこうではないか。腹筋を止め、パソコンに向かって仕事を始めた。

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朝銭湯のススメ


今回、道後温泉本館は夜に伺いました。ドラマ「坂の上の雲」の影響か、ものすごく混んでいて風呂場は芋洗い状態でした。

道後温泉の旅館で、早朝の露店風呂を満喫しながら、30代前半の頃を思い出した。四国を旅している途中、道後温泉の本館で誕生日を迎えたことがあった。いわゆる「坊ちゃん風呂」と言われる夏目漱石がよく通った共同浴場、つまり銭湯。午前6時に太鼓が鳴って営業を開始するこの銭湯に入り、休憩所でお茶をいただきながら、朝銭湯というものを初めて味わった記念に自分宛に絵葉書を書いた。

あれから10年。すっかり朝銭湯が好きになっていた。毎朝、営業している銭湯はなかなかないけれど、土日だけ営業しているような銭湯は時折ある。僕のお気に入りは東京上野の燕湯。ここは毎朝午前6時から営業している。国指定登録有形文化財の建物をくぐると江戸の朝銭湯が楽しめる。6時30分にもなれば、かなりのにぎわいになる。江戸は銭湯文化が盛んだった。町の性質上、防火のため、武家屋敷以外に内風呂を作ることが禁じられていたため、皆、銭湯に出掛けていったのである。これが江戸の銭湯文化を育てていった。

当時は湯船が熱くても店のスタッフに言わなければ水を埋めてもらえなかった。それを頼むことは江戸っ子として粋ではない、よって我慢する。しかし、我慢していることを悟られるのは更に粋ではないということで、

「やっぱり風呂は熱いのに限る」

という江戸っ子の名台詞が生まれたのだ。今も燕湯の湯船の温度は45度をはるかに超えている。老人が何食わぬ顔で入っている横で僕は「う~」と唸りながら、ゆっくり身体を沈みこませ、「ふ~」と大きく息を吐きながら顔を上げる。祭りになると活躍しそうな地元の老人、仕事後の疲労と開放が混じった顔の夜勤明けドライバー、眠そうな出勤前のサラリーマンなど現代の江戸の朝銭湯に集う人々が目に入ってくる。この朝と夜が入り混じった生活漂う銭湯を味わう時間が好きなのだ。もちろん旅館の朝風呂もいいんだけどね。

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まったく今の若い者は…なんて、いつからぼやき始めるのだろう


「まったく今の若い人は…」

よく聞く言葉である。これは今も昔も変わらないのだろう。僕が学生の頃は今の親の世代から言われた記憶があるし、最近は同世代の僕の周囲からそういった声が聞こえてくる。

愛知県は豊橋市内の朝の散歩がひと段落し、駅前から東海地区では唯一残っている路面電車に乗り込んだ時のことである。次々に女子高生が乗り込み、あっという間に女子高生で満員電車になってしまった。彼女たちの通学時間に遭遇したようだ。

チリの世界遺産バルパライソを走る路面電車。これは電気で走ります。古いと言われていたけどエコの今となっては逆に新しい。

まるで女子高の中に中年男性が紛れ込んでしまったかのような車内である。しかし、不思議なことに同じ日本人であるはずの彼女たちの会話が聞き取れない。まるで海外の路面電車にでも乗っているように。

「ドルガバのニセモノベルト?ホシインダケドォ~」

「の」を頭の中で、ひらがな変換してやるだけで耳の周波数が合ったかのように少しずつ会話が聞き取れ始める。ドルガバとはドルチェ&ガッバーナのことであろう。ただ、偽物のベルトが欲しいとはどういうことなのだろう。言葉はわかっても意味不明であることには変わりない。

「引っ越したいよ~。一人暮らししたいよ~。ヤチン?ナニソレ~」

ラップのように話す女の子もいる。

「うちの親、ちょ~むかつく。サラダにうどんいれやがる」
「うどん?それパスタじゃないのぉ~」
「そうなの?食べたことないからわかんな~い」
「うちはトースト厚すぎてむかつく。朝からそんな厚いトースト食べれるわけないやんか」

会話は聞き取れ始めたのだが、彼女たちの怒りの矛先が理解できない。それはそれで面白いが、

「まったく今の若い人は…」

と思っている自分もいる。僕も歳を経たということなのだろうか。
そうやって僕に思われた彼女たちも10年後には言うのだろうか。

「まったく今の若い人は…」

と。昔も今も、そして未来も変わらないだろう。それはそれで嬉しいような気がする。

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