朝読書と読む筋力


学校教育の中で「朝の読書」が話題になってかなりの時間が経つ。ある統計によれば現在、全国の小中学校の半数以上が始業前に朝の読書を実践している。読書には感情の抑制効果ということがあるらしい。「読書をすることで子供たちに落ち着きが出てきた」、「いじめや遅刻が少なくなった」。まだまだデータは不足しているが、現場レベルの先生方からの感想からも朝の読書の効果が期待できる。

僕は寝転がって読むのが好きです。

子供たちが好んで読書をしているかどうかはともかく、本を読む習慣をつけてもらえるのは僕からすればうらやましい。僕は子供の頃、本を読まなかった。子供の頃どころか30歳を過ぎるまで、ほとんど読まなかった。現在、僕が文章を書くことを生業にしていることが信じられないと言った同級生の気持ちもよくわかる。

30歳まで本を読まないとどうなるか。「読解力」以前に「読筋」というものがついていない。「読筋(どっきん)」とは僕が勝手につけた言葉で、読むための筋力(実際には筋肉ではないんだけど)のこと。本を読んでいても読筋がないと内容を自分の考えに落とし込んで読み解くどころか内容自体が頭に入ってこないのである。そんな読筋がない僕でも本をそれなりに読むようになり10年程度経ち、30代の頃、読んでも頭に入ってこなかった本を読んで味わうことができるようになってきていることを自覚することが度々ある。多少なりとも読筋がついたのかもしれない。

先日、自分の子供に読書感想文を書かせるべきか否かの質問を受けた。自分の感想をまとめることは脳の整理にはなる。ただ、この感想文というものが重荷になって、本来の目的である読むことに拒否反応を示す人もいるだろう。少なくとも僕はそうだった。僕は教育者でも脳の専門家でもないことをふまえた上で、あくまで個人の体験から意見を言うと読みっぱなしでもいいと思う。「読筋」がついてこれば、自然に感想を述べる力もついてくるし、感想を書き留めておきたくなることもあるのではないだろうか。いわゆる「感筋(かんきん)」がついてくるはず。あまり響きのよくない言葉だけど。

Tags:

豊かの基準


世界を放浪していた知人は、宿泊は主に業務用のゴミ箱の中だったそうだ。さすがにそこまでの経験は僕にはないが、倉庫の片隅に新聞にくるまって眠ったことや駅のベンチで野宿したことは人生の中で何度かある。あくまで日本だけれど。これができるということは治安のよさと凍死の危険性がない気温の中にいることが必然になる。

高級ホテルの広いベッドで眠るのも大好き(たいていの方はそうだと思うけど)だが、車内やベンチで眠るのも嫌いではない。僕にとって「豊か」の基準の一つは布団なしで寝られるということ。だから年中、温暖な国に住む人は基本的にそれだけで豊かだと思ってしまう。

そう思ったのは20代後半のこと。路上で眠ったことがある。路上というのは言い過ぎで、正確に言えば、ビルと植え込みの間のところ。当時、イベントのディレクターのような仕事をしていて、あるイベントの打ち上げの帰りだった。先に帰りますと言って六本木の店をひとりで出た。かなり酔っぱらっていたのだろう。タクシーにも乗らず、ただ、ただ、自宅の方向を目指して歩いていた。歩きながら東京でも星が見えるんだなぁと思ったことは憶えている。そして青山あたりまで歩いて来たところで自販機を見つけ缶コーヒーを購入した。植え込みに座って甘いコーヒーを飲みながら改めて星を見上げた。イベントが終わった開放感もあったのだろう。いつしか、その場で寝転がってしまい、そのまま僕は眠りに堕ちてしまったのである。

臆病な僕は海外ではさすがにできないけどね。

次に目を覚ましたら、たくさんの人が僕の横を歩いていた。何が起こったのか理解できないまま跳び起きたのである。朝の通勤時間だったのだ。しばらく座ったまま昨日からの記憶を呼び起こす。羞恥心は湧いたけど、何とも言えぬ幸福感もじわじわと湧き上がってきた。布団なしで眠れる豊かさを体感し、実感したのである。それは、ここならどこでも生きていけるんだという安心感でもあった。すぐ近くに当時クライアントのひとつだった会社の本社があることに気づいたときは羞恥心が舞い戻ってきたけれど。

Tags:

ペールギュントとバリ島と


標高1717メートルのバトゥール山。頂上で欧米人が瞑想していました。

クラシックを聴くと何を思い浮かべるかという話題になった。いつもの飲み屋でのたわいもない話である。僕の周囲はヨーロッパの想い出を挙げる方が多かった。ヨーロッパで生まれ育ってきた音楽なので自然なことなのだろう。僕も他の方と同じようにヨーロッパを旅した時のことを思い出すこともあるが、「2001年宇宙の旅」など映画のワンシーンが浮かぶことも多い。
ただ、組曲「ペールギュント」の中の「朝」だけはちょっと違う。ノルウェーの作曲家グリーグの作品である。北欧の想い出が浮かびそうなんだけどバリ島の想い出が蘇ってくる。

今から3年ほど前、バリ島の中央あたりにあるウブドと呼ばれる村に長期滞在していた時のこと。現地在住の方からバトゥール山に登ろうと誘われた。標高の高いアグン山の方がバリ島を訪れる観光客には一般的に知られているが、バトゥール山はスピリチュアルな世界の方から地球のチャクラ(気)の一つと言われ、神聖な山と崇められて人気がある。僕もそういった話は嫌いではないのでついていくことにした。
早朝5時。まだ空には一面に星が広がっていた。基本的に年中、Tシャツと短パンで過ごすことのできる島だが、さすがに朝は涼しい。レンタルしたオートバイを走らせると涼しさを通り越し、寒くなり、すぐにウィンドブレーカーを羽織った。

コテージからバトゥール山まで1時間半程かかる。走り始めた頃はオートバイのライトを頼りに走っていたが、徐々に空の色が変わり始め、青白い光景が目の前に広がっていく。その時に思い浮かんだのは組曲「ペール・ギュント」の中の「朝」だった。元になった戯曲は自由奔放なペールギュントが旅に出て年老いて帰ってくるまでの物語である。ちょうど放浪中だった僕の境遇に重なり合ったのかもしれない。

想いにふけりながら、アクセルをふかしていると目の前に警察の集団が見えた。早朝から検問を行っていたのである。僕はバリ島の運転免許証を持っていなかった。頭の中に流れていた音楽がガラリと変わった。映画「地獄の黙示録」のテーマ曲で知られるワーグナーの「ワルキューレの騎行」に。

Tags:

子供たちが早起きした理由


東京は大田区、ビジネスホテルのツインルーム。この原稿を書いているテーブルの後ろにある2つのベッドでは小学6年生が3人眠っている。岐阜の自宅近所の子供たちを連れ、2泊3日の旅行に来ている。

高速バスの中で嘔吐する、車中で声の音量調節ができない、大阪のたこ焼きが食べたいと言う…それなりに大変な移動だった。しかし、それでも彼らの行きたい場所にいくつか立ち寄り、新宿の夜の街を連れまわして何とか一日目が終わった。疲れ果ててホテルに戻ったにも関わらず、興奮していたのか、みんなすぐに寝ようとはしなかった。結局、僕の方が先に眠らせてもらった。

きっと2日目の朝はゆっくりなのだろう。彼らの寝顔を見ながらそう思った。皆が寝ている間にメール処理を終え、原稿を書き始めると、7時には既に3人とも起きていた。そして、

「準備できたよ~。秋葉原行こうよ」
と言い始める。

東京タワーにもスカイツリーにも興味を示さなかった彼らが食い付いたコンビニのおでんの器タワーです。

「●×は朝、全然、起きへんのやて(起きないんです)」
お母様がそうおっしゃっていたはずである。

そのことを彼らに告げると
「楽しいことがあったら、起きるに決まっとるやんか」

あっけない答えが返ってきた。ゴルフがあると目覚まし時計がなくても起きると言う僕の友人のような答えである。

そして3日目の朝。ただ今の時間、午前8時30分。一向に起きる気配はない。今日の行程は岐阜に帰るだけなので彼らにとっては早く起きるのに値しないことなのだろうか。僕としては原稿を落ち着いて書くことができるのは嬉しい。余談になるが、僕はホテルで迎える朝、コーヒーを脇に置き、机に向かって文章を綴るのが大好きである。普段より文字を書くスピードも早くなる。早いだけで後から見ると全然、面白くない原稿だったりするんだけど。それでも朝、勢いよく書きすすめられるだけで一日気持ちよく過ごせそうな気がする。さてさて、もう少し書いてから起こすとするか。今日も楽しいことが待ってるよ。

Tags:

夕立と朝立と夜立と


傘のデザインに興味がある今日この頃です。

「あれ?夕立かなぁ?」

と言ったら、俳句好きの母から、

「夕立は夏の季語だから春に使ったらおかしいわよ」

と言われた。夏の午後によく起きるから季語になっているだけで、寒冷前線が通過した直後、夕方、雷をともなった急なにわか雨は、春だろうが、冬だろうが、夕立と呼んでも差支えはないのではと僕は主張した。僕も母も言いだしたらなかなか折れない。そして言い争いになった。もっと他に言い争うテーマがありそうなものだけれど…。二人とも暇だったのだろう。

結局、僕は広辞苑をひいた。すると夏の季語とは書いてあるが、夏限定とは書かれていなかった。僕は勝ち誇って言った。その日の晩酌は美味しかった。

数日後、激しい雷の音で目が覚めた。パジャマの上からウインドブレーカーを羽織って、外に飛び出した。自宅で飼う2匹のヤギを外に繋いだままにしてあったのである。どしゃ降りの中、小屋まで連れて行きながら、ふと朝立って言葉はあるのかなぁと思った。家の中に戻り、タオルで頭を拭きながら広辞苑をひいた。朝、出発するという一般的な意味合いの後に、

「朝方に降るにわか雨。⇔夕立」

と書かれていた。つまり朝立という言葉は一応あるようだ。
時計を見ると午前3時30分。中途半端である。もう一度、眠ることはできるが、もったいない気がした。ちょうど書き下ろし文庫本の原稿の直しが佳境に入っている。朝食前にやれるところまで集中してやろう。コーヒーを淹れ、パソコンの電源をいれた。雷や雨の音を聞きながら、原稿と向き合うのも悪くない。雷の音が脳を刺激しているような気さえしていた。そのせいか朝食前に最後まで直しが終わってしまったのである。朝食を取りながら、ふと思った。僕が起きたのは午前3時30分。これは朝なのか。まだ夜中ではなかろうか。となると夜中立、もしくは夜立になるのではなかろうか。朝食後、再び広辞苑をひいてみた。さすがに夜中立も夜立もありませんでした。

Tags: